自宅療養時の生活 実生活への回帰! 迷惑親父が帰ってきたぞ!

帰宅猫自宅療養

退院初日からの生活ぶり

 

2日目

布団から起き上がるのも数日間は一大事でした。入院中は、電動ベッドでサイドに手すりがあったので起きやすかったのです。

ズキッとする痛みが伴います。
負荷のかからないようにまず横向きになり、ゆっくり起きました。

手術の体位の後遺症で右肩に激痛が走ります。もちろん手術跡もズキッ!身体のどこかしら痛いので、痛み止め錠剤ロキソプロフェンは必携でした。

持っているだけで安心感が違います。今でも何かと力になってくれます。

傷口に当てるガーゼは4日で取ってしまいましたが、新品にいつも交換し、洗って再使用はせず、使い捨てしました。

さらしでガーゼを巻いてからコルセットで傷口を固定します。踏ん張るのが怖かったので2週間くらい巻いていました。

食事に関しては糖尿病治療で行っていた方法で、プラスすべてを柔らかくまた、細かく刻んだものでスタートです。

水分は多く取りました。食べ物が詰まるのが怖いので流し込む考えなのでしょうか?たくさん飲めと言われました。

しかし、

手術の影響か?オシッコもとても出にくいのです。飲み物だけでお腹がパンパンになってしまうので、飲む量とオシッコの量をチェックしてました。
特に出る量は気にしていて、
おしっこが少ないとお腹が強烈に張るので分かりやすかったですが…

実は前立腺肥大も手術前に指摘されていたので気にしながらの対応です。

さすが病気のデパートかっちゃんですね!
そんなこと言ってる余裕ははっきり言ってなかったですが…

一応、緊急事態のためにすぐ病院に行く準備は整えておきました。いわゆる入院セットです。退院の日のままで部屋の片隅に置いておきました。

オシッコについては前述の通りですが、大便も出が悪かったのが一番気がかりでした。もし詰まったらすぐに病院に来いの指示がありましたからとても意識していましたよ。

ノートに回数と量を詳細に書き込んでおきました。

実は、大便が2日出なくて焦ったことがありました。なかなか妻に言い出せず、でも痛くないし、それにあの激混みの大学病院に行くのかと思うと…

ちょっと不安になった頃、一気にドカーンと出まして、トイレで一人でガッツポーズをしたのを鮮明に覚えています。感情を激しく表すことをしない自分としては相当嬉しかったのでしょう。トイレットペーパー

でも冷静に考えたら、

傷口がしっかり繋がってなくてスムーズに流れず引っかかっている証拠なのかもしれないと怖くなりました  

ちなみに、腸を相当切ってしまったので、大便の便意が乱れることがあると言われていました。

つまりは、急に出たくなるかもしれないということですね。
しかし、今まで漏らしたことはありません。これからもない事を願います。

これは人間の尊厳として自信を無くしてしまう事なので自分の中で一番心配な部分なのです

絶対漏らさないように細心の注意を!気力が失われる!

この日は、家の中の移動のみにして休ませてもらいました

シャワーで締めくくって早々と就寝!

3日目

この日から家事の手伝いをスタートさせました。掃除、洗濯物をたたむ等です。

水回りの家事だけはやらないようにしました。衛生面で避けるべきでしょう。

風呂に入るときも一番最初に入り、湯船に浸かりたかったけど医師のゴーサインが出るまでの一週間はシャワーのみで我慢しました。

久しぶりに湯船に浸かった時は疲れが取れた感じでスッキリ!日本人で良かったなんて改めて思いましたね!
あまりお風呂が好きでなかったのですが、お風呂に入ることに魅力を感じ始めました。

新たな目標を見出してやる気を奮い立たせました。将来夫婦で小さい車を購入して温泉巡りをしたいとやる気アップモードになりました。

妻の手伝いをし始めると、家事の大変さがよくわかります。家事を本格的に手伝ったのはこの時が初めてで、妻の手際の良さを知りました。簡単にできると思っていたら大間違い!邪魔するのみでした。

さすがプロです!そして仕事までこなしている。
私よりはるかに忙しく、生き生きしています。感謝の気持ちが一層高まります。

 

午後からはガン保険の請求について調べて手続きに入りました

 

保険は全く未知の世界のお話でした。30歳で勧誘されて内容も考えず加入して、自動引き落としされて継続されていたお粗末な状態です。

しかし、
加入しておいて良かった。そう思います。結局現在まで苦しい経済状況ですから保険金がなければ治療もできなかったかもしれません。

保険会社に連絡したり、関係者に書類を書いてもらう依頼の電話をしたり忙しい午後でした。

寝る時間が安定せず、辛くて横になってしまうとすぐに寝てしまい
夜寝つけない事がこの日の夜からありました。

医師からも眠れないことがあったら眠剤をと言われていましたが、
これだけは自分の変なポリシーから入院中から使用しませんでした。

これからも睡眠は自然に任せようと思います。薬を飲んで寝ることが癖にならないようにとの思いからです。

早寝早起きは絶対得!身体にも精神にも!

この日から家の外に出てウォーキングの開始です。20分ぐらいでしょうか、動けなくなっても最悪バスで帰れるようにバス路線を歩きました。

ゆっくりですけど、

一歩前へ踏み出した瞬間です。

不意に便意が来るので、近くにトイレがあるコースを設定して、ドラッグストアのトイレや図書館のトイレを利用させていただいてます。

仕事復帰への一番の不安材料が見つかった!

4日目

この日は朝からやってみようと思うことがありました。

最寄りの駅までの通勤コースのウォーキングです。いつもならゆっくり歩いても11分くらいの道のりです。

いきなり息切れが襲ってきます。特に階段はきつかった。
途中で疲れて休憩しながら登っていたのでおばあちゃんに「大丈夫?」と声を掛けられたときは情けなくて泣きそうになりました。

記録  所要時間28分 いつもの倍以上!

手術は相当の体力を奪ってしまったのだと改めて感じました。

会社に満員電車に乗って通勤に耐えうるか心配になります。

午後は妻にはまだ早いと言われましたが、皿洗いを志願して始めました。

じっとしてられなかったのです。

何か役立たなければの思いです。家族みんな一生懸命に生きています。自分だけゆっくりしてはいられない。

座ることが必要な仕事ですので、家でも座る姿勢にこだわり、パソコンを使ってできうる限りの時間を勉強時間に当てました。
でも座る姿勢も楽ではなく、お尻と腰に痛みがあり、この姿勢も嫌でした。寝ても嫌な感じ、座っても嫌な感じ、どうすりゃいいんだ!

なにより、傷口も痛みますが、右肩が完全に壊れてしまった感がある。上がりません。激痛が走ります。これが一番大変でした。生活する上で一番影響がありました。とっさの行動に悲鳴が上がります

あーっ

妻が心配して駆けつけます。ガンの手術の後ですから悲鳴を聞いたらビックリしますよね!

こんな場面がしばらく続きました。

たとえば、トイレでお尻を拭くのも大変な作業です。トイレに行くのも嫌になるくらい。

左手で拭けばいいじゃないかと思うでしょ?左手だけ動かしたつもりでも、そのバランスを取るために右肩に動きが出る。

人間が左右のバランスを保ちながら生きているとを実感できます。

この痛みは今でも悩みの種で、格闘中です。

痛み止めの経皮鎮痛消炎剤「モーラステープL」は手放せません。幹部に貼るお薬です

ここまでは大腸ガンに関しての対策でしたが、私にはもう一つ闘わなくてはいけない大敵があります。

そう、

糖尿病です!

2日目の冒頭にも記しましたが、食事の仕方などに工夫が必要です。今までの食べ方ではガン治療にも悪影響が出ます。

大腸を30センチも切ってしまった事を忘れてはいけないのです。

そうだ!最近忘れてしまっている!

食べ物を詰まらせたら一大事です。

これからも大腸ガン患者、糖尿病患者としてこれらのレポート配信を続けていきたいと思います。

パソコン ゴリラ

 

この日以降は、これまでの数日間の生活を繰り返し、ウォーキングの距離を延ばしたり、事務手続き作業に時間を費やし、ブログ立ち上げの勉強に時間を使いました。

退院から一週間が経ち、いよいよ抗がん剤治療に入るのです。

ここから先の別ページが皆様には役に立つと思います!

 

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