心の迷いがあればほとんどの事が家族や周囲の人達の存在でカバーできていたのですが、埋まらない時に心の拠り所に頼る時がありました。最近は迷いがあってもなくても、
そこに行きます。
私にはこの場所だったわけです。
私の信仰心(神の存在)
私は信仰と言うものには全く興味がありませんでした。
小さい頃から両親も神の存在など教えてくれることもなく、学校でも宗教の教えなどなし。友達の中に2,3人親の信仰が厚く家の中から何かを唱えている声が聞こえたり、説法を聞きに来ないかと誘われたりしたことがあり、そんな世界があることだけは理解していました。
でも、神頼みは必要ない
信仰して願いが叶うなら簡単すぎる!そんな甘いもんじゃない!もし願いが叶ったら心の中で感謝すればいい。そんな考え方でした。
今でもほとんど変わりはありません。
神の存在を意識した事は無い。宗教的なことはあまり好きではない。無宗教の家で育ち、先祖や神を崇めるなどほとんどしたことがない。そんな私でした。
いつも気になっていた場所
そんな私も、東北の田舎から逃げるように関東に引っ越してきてから早や15年が経つ。
家族があって、できる仕事が今の職業しかなかったので40歳にして新人として新しい職場で働き始めたのだが、それまでの10年の積み重ねが生きて、会社でも結構信用される立場となっていた。
上手くいったことも失敗したこともあり、平凡でありましたが、それでも幸せを感じて生活を送ってこれました。
このまま想像からあまり脱線せず人生が送れるのだろうと思っていました。
それが私の大きな勘違いにより見事に打ち砕かれました!
10年間常に先頭を走っていたつもりでいた会社にクビを告げられたのです。
理由はどちらも悪いが私のやり方が悪すぎた!
この後の数か月の職探しは、50歳まで休みなしで働き続けてきた私には…
今振り返ると強烈なストレスを感じていたのでしょう。
このブログのスタートとなる病気の発症を迎えることとなる時期でした。
その頃に何気に車でその場所の横を通ったのです。よく通る道でしたが
全く気にしていなかった神社が目に入りました。
こんなところにあったんだ!
それからずっと気になりだしました。とても気になるのです。
中はどんなになっているのだろう?
どんどん気になります。
誰かに呼ばれているみたいに…
病気になって行ってみたら
いつも気にはなっていたのだが、なかなか足が向かなかった。歩くには遠いが、車で行けば10分はかからない距離。
大腸ガンと糖尿病の治療中に急に行ってみようかと思い立ちました。自宅療養中には時間だけはたくさんありますから…
いてもたってもいられなくなるとはこのことだ!
正面の本堂右側には起伏があって樹木に囲まれて趣がある空間が広がっており、様々な神様が祭られています。
木漏れ日が差してきます。
誰の気配もなく、たった1人…
静まり返っています。
まず、手水舎で手を清めて本堂へ向かい、
手を合わせてみる。
何かを達成した!そんな感じになれた。
やっとたどり着いた!そんな感じ。
すぐにおみくじを買ってこれからのことを尋ねてみた。
あまり良いことは書かれていない!だけどそれでいい!
スタートラインにやっとたどり着いた感じは自分を安心させてくれた。
54歳にしてたどり着いた区切りの地点です。
それから本堂以外の神様を回りました。境内に祭られている全神様に手を合わせる!今までにしたこともない行動です。何か落ち着くのです。落ち着くのが分かります。しなくてはいけない事を済ませた感じと言ったらお分かりいただけるでしょうか!
一回りして出口で一礼して境内を出ると、現実に戻った感がありましたが、心に迷いが生じたらまたすぐに来ようと思いました。
勝手に守り神と決めつけた瞬間です。
強い味方の誕生です!
私が少し変わった気がする!
信じることの大切さ
私は今だに宗教を信じようとは思っていない。しかし、勝手に心の拠り所を見つけることはあっても良いのではないかと思うようになった。
神はいます。心の底に必ず存在します。
しかし、
感謝するだけの存在です。
今があることに感謝するのです。
ある人に「祈っても誰も何も変わらないよ!」と言われました。そんな人生を歩いてきた人なのだろう。悪い意味じゃなく、いつも祈っていたのに思い通りにならなかったのでしょう。経験からの言葉なのです。その言葉も理解できます。
でも、
祈っている間は楽になれるもの。何もしないでいるより楽なのさ!
そう思うようになりました。
祈ることは実現しなくても無駄じゃないのです。祈っている間は心は上向きになるのです。諦めない事を再確認して、再考するチャンスなのです。
祈ること自体がまた頑張ろうとしているのです。
祈ることがなければ、周囲の人が幸せになることを祈ればいい。
願うばかりではなく感謝にも行く。
何もなくても手を合わせに行けばいい。それだけでも自分の本質に戻れる。
ココが心が豊かになる凄い場所なのだ。
見つけてしまった!
しかし、
逃げ場所になってしまうから毎週のようには行かないつもりです。迷いが生じたら相談に行きます。存在させてくれていることに感謝に行きます。
気になることが…
さて、この神社で手招きしていた人は誰なのでしょうか?
私の実の母が呼んでいた気がします。
「バカ息子よ!しっかりしろ!母としてみっともないよ!」
「がんばれ!ここに来たら気持ちを楽にさせてあげるから…」
そう言って見守っていてくれると私は信じて生きていこうと思います。
私も、私の家族を永遠に見守っていこうと思います。
その子孫まで見守ります。
この約束だけは絶対実現できることです。
だから、自分自身が神になることを自覚し、責任を持たなくてはいけないと気合が入ります。
人生の成功も失敗も受け入れるゆとりが出来ました。
生きてこれたことに感謝しなくてはいけない!
もう一つの守り神
大腸ガンから復帰後、会社や妻から進言されたことがある!
マイカーでの通勤です
満員電車のストレスや途中での体調変化を心配してのアドバイスでしたが、1度会社までのマイカー通勤をテスト的に行い
とても負担がかかることが分かりました。金額的にも、身体的にも…
やはり身体の事を第一に考えると、通勤時の徒歩の時間は貴重であると考え電車通勤の継続を決定しました。これで毎日30分以上の徒歩の時間を確保できるのです。
居眠りしても電車なら乗り過ごすだけ
我が家は小高い丘のてっぺんに立っているので、行きは下りで楽なのですが帰りは上りとなりとても我が身体にはきついものとなります
そんな通勤路の中でポツンとたたずんでいるお地蔵様を帰りの暗い道で発見したのは命なのだと思って大事にしています!
ニヒルな口元でいつも見守ってくれていることに気付きました
それからは毎日のように帰り道で小銭をお供えして手を合わせて帰るようになりました
最初は人が通ると恥ずかしかったのですが、今では堂々と手を合わせて必ず今日を感謝し、明日も頑張ると報告して帰ります
家から3分もかからないところにあるので母の社の代わりと言っては失礼ですが何故か迷いがあると手を合わせに行きます
この神社に鳥居を3つ、お地蔵様の社を寄贈するのが私の目標の一つになりました
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