ICUでは
助からなければよかった!
そんな気持ちが過った勘違い事件と大便空砲事件を経験し、
とても静かな世界で絶望感の広がった数日間を過ごし
妻にこれが真実ならとても言えなかった!
しかし
一般病棟に移動してすぐ誤解が解けて
この出来事を詳しく妻に話して手術後初めて笑ったのを今でも覚えている
リハビリ再開ののろしが上がりました!
この頃の体調について
めまい
ベッドの上に起き上がるのに一般病棟に移って半日(電動ベッドの助けを借りて)を要し
とにかくめまいが酷く起き上がるのが怖かった
後で考えると、
近視で長い間コンタクトレンズとメガネを使用していたこともあり、手術以降の数日間を裸眼で過ごし、いきなりメガネをかけ身体や病室の現状確認がしたくて目を動かすので
本来のめまいが更にひどくなったのでしょう。
それに伴う吐き気が頻繁に襲ってきました。
勝手な推測ですが…
初めてベッドサイドに立った時も人生最大の震度を(めまい)感じ、
ベッドにしがみついた際に
腰を強打するおまけもありました
立ち上がる際は用心しましょう。特に高齢者、メガネを使用している方は要注意ですぞ!
一つの病院でこの数字なので全国レベルでまとめると相当大きな数字になることは予想できる
このめまいは治療的なものは何もせず、数日で症状は治まりました。
しかし
こんなに身体が思うように動かない状態が続くのは今回が初めての経験です。
手足のしびれ
手足の末端に軽度のしびれがあって、分かりやすい表現を使わせてもらえば
「指先の感覚がなく、シャツの大きめのボタンがつけることができない感じ」
こんな記載が携帯のメモに残されていました。
必死になって足元指先に感覚があるのか?そして戻るように動かしたことをよく覚えています。
特に左手のしびれはひどかった。手首までしびれがあり、
このままでは仕事に重大な影響が出るほどでしたので心配事は増幅しました。
右手の方は指先の感覚が少し鈍い程度。
しかし、
このしびれは今現在も症状が軽く残っていて、思うように洋服が着れずに苛立つことが多くなりました。
食欲について
食欲はICU脱出以降も依然としてほとんどありませんでした。
飲む事の許可ももらわず勝手に、持参した粉末のインスタントコーヒーばかり飲んでいました。
無理して体調のために口に運んでいる状態…
食べるとお腹の調子が悪くなるし、
食べ物が胃の上部に止まっている感じがハッキリ分かるので
少量で食べれなくなってしまいました。美味しさなどは微塵も感じることはありませんでした!
睡眠について
眠れない!などの睡眠時間に悩まされることはありませんでした。
昼は極力読書とリハビリをして精神的にも肉体的にも疲労させて、消灯時間には目を閉じるの実践を行い8時間の睡眠時間確保を目標にしていました
よく眠剤をもらっている方がいましたが、昼にガーガー寝てて夜眠れないと訴える患者さんが多かった。
いびき、徘徊、寝言、独り言、匂い、など、食も睡眠も大人数の病室でもそれらに負けずに快適に療養できる環境作りを
以前の入院の経験より学んでいましたから…
是非参考に見てください!
この1週間の出来事
担当研修医
一般病棟に移動して2日目からベッド上に起き上がってベッドサイドに立つというリハビリが始まりました。
当然一人では危険過ぎるので、新人の研修医が担当につくことになりました。
息子と言ってもおかしくないくらいの若い研修医で、担当に就く経験も浅いようで何かと失敗や不手際が多く、
採血失敗や作業の手順間違いなどでやり直しをよくさせられました。
でも、
息子の奮闘を見ているようで笑って励まし、
私が少しでもこの研修医の役に立っていると思うと嬉しささえ感じました。
1週間は付きっ切りで30分くらいのウォーキングやレベル別の体操、雑談に付き合ってくれて楽しく過ごすことができました。
頼もしい医師の誕生だな!
車イスが疾走するフロア
このフロアで一番気がかりな患者さんの事です。
初めて出会った時から何かうまく表現できませんが、惹きつけられ考えさせられました。
そしていつも勇気づけられた存在です。
30代後半の男性
いつも車イスで元気ハツラツ移動している
よく見ると両足が見当たらない…
私も十分重症感はあるが、その人に会うとその私が固まってしまうほどの姿…
しかし、
いつも笑顔を絶やさない
ある日勇気をもって挨拶をしてみた
元気な返事が返ってきて
いつもリハビリしていますね!
あなたも…
その方曰く
病室は退屈なので車イスでうろついているだけですよ!と
その笑顔に私も笑みになる
病棟で一番会いたい人になった
病棟のフロアを歩いていると必ずと言ってよいほど会えた
忍耐力のない私がリハビリウォークをずっと続けられた大きな要因の一つがこの方のおかげなのでした。
元気にしてるかなー
コードブルーの館内放送
医療ドラマのタイトルにもなった
コードブルーという言葉…
入院生活の中で2回体験しました。
1回目は昼食後のリハビリウォークの休憩中の出来事!
病院はいつも通りの人の多さでした。
発令のアナウンスも聞く人皆を緊張させる感のあるもの
発令後すぐに相当の数の病院スタッフがある方向に凄いダッシュで向かいます
すぐにただならぬ出来事が発生したのが読み取れました。
この時は病院の改装工事現場で起きた労災事故に対してのものだったようで、
この時は死者が出たらしくテレビニュースにもなりました。
すごい緊迫感でしたね!
さすが我が選んだ大学病院!
2回目の発令は、消灯時間が少し過ぎ病棟全体が静寂に包まれ始めた時のものでした。
この時は2人部屋で1人っきりだったので怖いもの知らずの私でも少しドキッとしました。
アナウンスの内容が緊張させます。
東館8階中央トイレ付近と具体的な場所を言ったのです
私はその場所で糖尿病の入院で過ごし、よく分かっていたので尚のことです
いろんなことを想像して不安になりました。
夜はスタッフが少ないし何が起きたのかと不安になります。
傷口を守る腹帯の気になる中身
自分の手術跡がどうなっているか気にしだしたのがこの頃
前の手術でも傷口がどうなっているか気にしたことがほとんどなかったのですが今回の手術でも気にしだしたのが1週間も経ってからの事!
前回と同じ傷口をなぞっている。おへそを回避して上下に約25センチ
そしてとてもグロテスク…
見なきゃよかった!
今頃疑問に思うことがある
傷口の縫合ってどうしてるのか?
前回の傷口の考察ページで偉そうに語っていたが、縫ってからホチキスなのか、ホチキスだけでくっついてしまうのか
前回書いた記事ではホチキスのみと記述したのですが、どうも違っているようですね!
医師に質問するのを忘れていました。調べてみたいと思います。また、知っている方はご教授お願い致します。
予定より早く傷口を縫合していたホッチキスを外しにきたのはあまりにも不快であったことを医師に毎回訴えていたからでしょう!
ついでにお腹に繋がっていた透明な管(ドレーン)が外され、腹帯も外し、シャワーだけなら入浴もOKの許可が出ました。
腹帯外しは自らが懇願したのですが…
ついに不快感ともおさらばです。
痛みは少し残りますがかゆみに比べると屁でもありません!
私の宿敵 腹帯そしてかゆみ!
手術の傷口を守るために
マジックテープ式の白い腹帯を手術直後からギューッとお腹に巻いていました。
これが私の悩みの種の一つで
かゆくてとても辛かったです。
腹帯を外してかく力も柔軟性もなく、持参してきたプラスチック製のハンガーを差し込んでかいていました。
苦し紛れに割りばしも活用しましたね!
勿論、看護師さんにかいてもらったりしていたのですが、頻度が多すぎてだんだん呼びずらくなってきたのです。
ちなみに
かゆみに関しては薬を塗るか医師からの提示はあったのですが、
どうも顔や身体にクリームを塗るあの冷たい何とも言えない感触が嫌で拒否しました。
昔も今もダメです!
医師が回診時に傷口を見てから腹帯を強く締め付けるのですが、そのあとすぐに自分で
いつも緩めていました
手術痕はまだジュクジュクして力を入れると痛みもまだありましたので外すわけにはいかず
微妙な締め付けトルクの調節でコントロールしていました。
緩めすぎると不意にお腹に力が入った瞬間痛みが出ますから…
心筋梗塞と心電図モニター
心筋梗塞を発症して心臓血管の何10%が壊死してしまい、
心電図データを送信する小さな計器を首から吊り下げられた袋に入れ、
粘着性のシールを胸に3か所つけて心臓の動きを24時間監視されることになってしまいました
ゆっくり歩くリハビリを続けていたり、ベッドで横になって体勢が変になるとこの胸につけた端子が外れ、
看護士さんが吹っ飛んできたものです。
ナースステーションでモニタリングされており
幾度となくご迷惑をおかけしました。
同室向かいのベッドの老人が、奥さんや看護師さんが来たり、エロ動画見て興奮するとすっ飛んでくるよ!
と冗談を言ってくれて場が和みましたね!
看護師さんも
私が美人だからドキドキするんだよ!と受けてくれました
最低血圧、採血でフラフラに!
こんな経験もしました。
朝一の血圧測定でこれまで測定した数値の
最低血圧80-50を記録し
あら低いですねー
の一言を聞いた瞬間
急にフラフラすることを体験しました。
何より正常な血圧がどれくらいなのかもあまり理解してないはずなのに…
また、
採血中にクラクラすることも初めて経験しました
自分の血液が注射器に入るのを見ていたらフワ―っと気が遠のき、
前に倒れそうになって研修医に声を掛けられ支えられたこともありました。
これらはベッド上で座った状態での出来事です
不思議ですね!
それまでは何ともなかったのですが数値を見たり、血液を見た瞬間ですから…
これまで血圧等には自信があったので病気の進行、体力の衰え、年齢を自覚せざるを得ませんでした。
こんな経験をしながらリハビリに一層熱が入り、2回目のステント手術に向けて
少しづつですが回復の兆しを実感しつつ準備を進めていったのです…
コメント