どうしてこう思ったのか?
どんどん痛みの伝え方が下手になってきたと感じる…
病気のベテランだし、医師との意思の疎通も遠慮がなくできるような間柄になったので、少しは上手に伝えられるようになったと思いきや、
診察が終わり会計を済ませた頃になると、
しっかりと伝えられなかった事に落胆することが多くなってきました。
医師も或いは聞き方が下手になって
もとい、聞き方が患者との馴れ合いで雑になりルーティーン化しているような気がします。探ろうとせず、時間に追われているので自己申告分しか情報を受け付けない感じ…
仕方がない事も分かっているし、私の勝手な妄想であるのかもしれない…
本当に言いたい事が伝わっているのか?多くの方が納得いってないのではないかという疑問を持ち
このテーマを検証してみようと思ったのです
私は強烈な痛みのを3度経験しているスペシャリストなので
絶対見て!
手術直後の麻酔の切れた体験
心筋梗塞発症
最後に提言している
自己流5段階で伝えるに統一で患者サイドとして最低限の容態がしっかり伝えられると思います。参考にご覧下さい
患者目線からの症状の検証
この解釈から今回はスタートします!
私はこう思っている…
痛いとは
●身体のどこかで異常(けがや病気)が発生したことを知らせている感覚の事
●だからまだ命にかかわらない!
●薬で何とかなる!
●最悪、気を失うイメージ
●もちろん度合いが存在し幅が広い!
苦しいとは
●心臓が止まりそう
●息ができない
●命にかかわる!
●最悪、命を落とすイメージ
●もちろん度合いが存在するが幅は狭い!
不快(気持ち悪い)とは
●吐き気がする
●表現しずらい違和感(ムズムズしたり、自分の身体でないような感じ)
●命にかかわらない!
●時に強烈にダメージをもたらす
●我慢して回復を待つイメージ
私は個人的にはこうとらえていて、とても言い分けが難しいが、自分としては「当たらずもが遠からず」と思うのだが…
痛い、苦しい、不快にはどんなものがあるか?
1、素人の第三者が見た瞬間に分かるもの
骨折、手術後の傷跡、擦り傷、打ち身、切り傷いわゆる外傷と言うもの。
2、第三者が見て分かりにくく自己申告が必要なもの
身体の内面の痛み、頭痛、いわゆる病気と言うもの。
運動後の筋肉痛などの疲労
事故などで腕や足をなくした方が、そのなくした腕や足が痛む幻肢痛
心の痛み、ストレスによるもの(精神的に辛い、苦しい)あえて別にここに記す
※私にもこの痛みの経験があるが難しいので次の機会にお話しします。
糖尿病(サイレントキラー)代表的なものとして怠さ
耐え難い痛みは感じない不快感(私はたま自分の身体じゃない感じで気が狂いそうになる)
医師にどんな事が聞かれるのか、伝えたか検証…
これも曖昧になりやすい部分である。軽い痛みは数年前から感じていて正確な時期はほとんど分からず…
時系列の話は細かく聞き取りされた
病気には年輪みたいなものがあると医師に聞かされ大腸がんの発病時期を言い当てられ、心当たりがあったので感心したことがある!
感心している場合か…
指でさせれば医師も分かり易い!しかし動けない状態であれば会話によるものとなり正確に言い表せなかったり違うところをいってしまうこともあるのではないでしょうか?過去の経験で尿管結石の時に背中に激痛があり筋肉痛だと思おっていたがそうではなかった…深浅はつかみにくいものだ!
◇ジンジン
◇ガンガン
◇ヒリヒリ
◇ずしーん
◇ドンドン
◇ズキズキ
◇ヒリヒリ
◇ぴりぴり
◇ずっしり
◇押されるような
◇しびれる感じ
◇息ができず苦しい
◇モワーッと
バットで殴られたような…
はいはい!
殴られたことあるんかい!
なんてことないか…
などいろんな表現をしました
しっかりと伝わっていたのかな?
これらの言葉には表現の個人差があるし、痛みの表現として序列も存在しませんからね!
まだたくさんあるのでしょうが、私のボキャブラリはこれぐらい…
言葉に表せない時もあるしね…
逆にこの姿勢は楽とかも聞かれました
例えばお腹を押してこの辺?等聞かれました
痛みへの耐性(どのくらい耐えられるか)も個人差があるし、表現する患者に、そして、聞解する医師にも国語力の差が出てくるであろう。
しっかり伝わらなければしっかりした医療は受けられない可能性がある…
患者からは医師の質問に自分の国語力と記憶を駆使して精一杯伝えます。
医師の判定範囲は患者さんの状態によっては最悪意識がなく、全く会話なし∼少し具合が悪い程度で会話も歩行も普通にできる方まで幅が広い!
そんな様々な容態の患者さんを適切に聞き取りして判断するのですからこの
伝える、受け取るはとても重要である事は言うまでもありません。
痛みの強度については手術後に聞かれる程度であまり下部病院では聞かれた経験はありません。しかし、この痛みの度合いについては凄い曖昧で分かりにくいものです。
医師、看護師の捉え方の分析
さて、私達患者はできる限り伝えようとしますが
どのくらい医師に看護師に伝わっているのでしょうか?
診察に当たる医師サイドには客観的に患者を観察する目安が医学的にあるのだとは思います。
など見てるのでしょう。
中でも痛みの度合いがどちらにとっても難しい
私が入院した病院では痛みの度合いを「MAXを10として幾つ?」と聞かれました
私のお世話になった大学病院ではそう統一されているようでした
さて、この表現は的確なのでしょうか?また、違う病院でもスタンダードなのでしょうか?
他の病院でもこの聞き方であるところもあれば、大丈夫、痛い、我慢できないの3パターンから選ぶ病院があったり、私も考えた5分類するタイプとありました。
さらにネットでは様々…
ペインスケールと言い、既に存在しているが一般的ではない
患者の立場から後で考えるとしっかり伝えられてなく、とにかくいい加減に答えていました。
健康な方よりひどい痛みの経験が多いはずなのですが、数値化するのは苦手でした!今でも分かってないです
やはり0の痛みなしは分かりやすいが、MAXの10がどれくらいの痛みなのかわからないといい加減な伝え方になってしまう。
10は死か?気を失う事か?など…
そこで
10ってどのくらいですか?
と医師に質問すると
自分の考えられる
または経験した最大値かな!
と言われたが、
私は極限の気を失うほどの痛みを過去の経験で知っているので、それに比べると屁のような痛みなので3と答える…
自分で答えながら、あなたは私の3が分かるのか?
俺の最高に体験したMAXを?
と…思わず聞いてしまった
うーん、そうですよね…
今思うと嫌な患者だ!
でも
個人の過去の経験値なんて様々なので分かるわけがないし、痛みに対する耐性も個々に違う!
皆さんもこれには異論はないでしょう
10と言えば本当に10の対応をしてくれるのだろうか?
聞き流されてしまうのか…
伝え方にさらに疑問と不安を感じました
そこでMAXを10として勝手な想像!
これくらいで休んでと思われたくないし、無理しないでと心配や迷惑をかけてしまったりするし、仕事が継続できなくなるので少なく申告したり、行きたくないから多く申告したりするのでは…
帰宅途中で言いたいことがあふれ出していつも反省会!
医師の言っている表現が違っていても同意してしまう事だってたくさんあった
正確に伝えられなかった!
伝えることの難しさを改めて認識
こうあってほしい伝え方の提案
医師と患者の痛みに対する共通認識!
医師目線で痛みを考えないでほしい!
知っているはずだがあえてもう一度言います!!
医師用のこのようなテーマの論文などは必ず存在していると思う。当たり前の事だが、
患者が伝えやすい事が一番大切なのでは?と思います。
この痛みの表現に
医師が、一般の国語的運用がなされているのか、医学界独特の尺度の運用なのかは重要な問題である。受け手の医師だけでなく、伝える患者側の統一感もあった方がいいに決まっている。
伝える側と聞く側の解釈の違いにより伝わり方も相当な違いが出ることは容易に想像ができる。
どうでもいいじゃないか!の意見は命に関わる世界では通用しない
患者のもっと分かり易い痛みの尺度表を作る病院はないだろうか?またはもう存在している病院があるのかもしれない。
患者が自ら病院に行くかの指標にはなるのではないか…
もちろんそのすべての責任は選択する患者にあるのは言うまでもないが…
そこで、こんな表現の仕方をタブレット画面等で見てせ選ばせる!
この5つの方が選びやすく伝えやすいと思う。3分類は大雑把すぎ、6以上は選択肢が多すぎ
伝える側のいい加減さは減る‼️
ちなみに私の場合
レベル5は入院して手術直後や心筋梗塞発症時
レベル4は尿管結石の時
レベル3は大腸がん手術後の回復期
レベル2が大腸がん発症直前に当てはまる
もし10段階レベル法だと自信をもって言いにくいし、言い当てにくい!!
医師たちに本当に伝わっているのかどうかも不安です。
【医師任せ!】3からは病院で診てもらうレベル!
【自身が管理】2は潜在的な疾患の可能性があるので時期や痛みの状況を記録しておく!
いかがでしょうか?
もう、やってるよ!と言う方も多いでしょうが、改めて
もの知らないかっちゃんが提言します。
もう開発をしているのでしょうが、
近将来には痛みの度合いの計測器がビッグデータによりAIが探れるようになるのでしょうね!
自動運転の議論と一緒で、人間の能力を信じるという人には眉唾物でしょうが…
あなたの痛み度数は64.5です!病院で診察を受けてください!
なんて…
痛みの度合いを言わなくていい時代が来るのか…
何にせよ
痛みの我慢に良いことは絶対にない!
しかし
いちいち病院にいくのもお互いにロスになる…
やはり
定期的に受けることのできる検診を積極的に受けることを真面目に受けなかった先輩かっちゃんがおすすめし、
分かり易い見せて選ばせる統一方法の提言を致します。
勝手な持論後記!
最後に思いついたこと
そんな中こんなことを思い出した。
昔、尿管結石で夜間救急外来に担ぎ込まれた時、私の痛がり方を見て、待っている患者さんをさしおいて私を先に診てくれました。
医師はあまり私を診ずに尿管結石を疑い見事正解であった
どうしても反則的に考えると上手く痛い芝居すれば早く診察してもらえるのではないか?
不謹慎な発言でした
私が思うに、医師は結構フィーリングで受け止めている印象が強い。医師の経験則による違いもと大きいが、私達は緊急時など医師の経験を振り返り、選択する時間的余裕も術もはない。
痛みを訴える現場を何万回もみている医師と数十回の医師で問診に差が出るのも絶対よくないはずだ!
初診で当たり外れのないように、痛みの尺度は同じ聞き方にしてほしいものだ!どの科目にも言えることです!
セカンドオピニオンの一つのヒントとして
痛みの伝え方等のコミュ力に対する内容についてどう運用しているのか開示してほしい情報です。
コミュニケーション能力の違いによって診察に差が出るのは想像できる。経験からもそう思いました。あってはならないが存在する!
話しやすい聞き上手な方と高圧的で話しにくく、勝手に話すな何て言う医師、雲泥の差です!医師選びの指針となる事ですね
どの世界も一緒だな
医療関係者の仕事をしている妻から聞く話では
そんな細かいところまで医師には聞いてくれる時間がないよ!
そんな話をよく耳にします
ここから想像するに、精神的な疾患の場合は伝わりにくく分かってもらえない事が多々あり辛いでしょうね
私も心筋梗塞の際は事前に胸が少し苦しくなったのですが言っていいものか、必要ないものか分からず、と言うより大腸ガンの事で頭が一杯で心筋梗塞の予見も全くできず、一般病棟に戻ってから早く言ってくれれば防げたかも…と言われました。
こちらの判断も難しい!
そして、医師も「防げたかも〜」と言う表現でしたからね…
決定的だったのは本当に医師とコミュニケーションを図る時間もほとんどなかったですからね!
痛みのコントロール秘策と苦しさ
痛みについて研修医に質問したことがあります。緩和ケアについてアドバイスしてくれました。
どうしても痛みが治まらない時、緩和ケアを利用しては?とアドバイスしてくれました
緩和ケアって治療方法のなくなったレベルの患者さんしか利用できないものだと思っていましたがそうではないそうです。
私が経験し思った事
ブログの別記事で痛みのランキングにおいて痛さのランキングを書いてみたが、
今回は痛いというよりは苦しいという経験を初めてしました。
呼吸ができなくなる苦しさは痛みより怖いものでした
痛みがきつくなると意識が無くなるイメージがあってその後の痛みは分からなくなる…
しかし
苦しさを通り抜けると死が待っている可能性が高い
ある意味痛いより苦しいの方が怖い
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