手術の次の日は痛みと戦ったので予定通りにはなりませんでした
その翌日からリハビリ開始となりました
痛みが治まってからの生活
手術2日目
6時30分起床ですが、見事に体内時計がぶっ壊れていて早朝4時00前には起きていました。
陣痛みたいな痛みは治まって
麻痺は改善されています。一番不安なところだったので目が覚めてすぐ手足が動くかチェックしました。
左足も感覚が戻って動きます。少しシビレが残っていますが良くなっていました。
そうこうしているうちに看護師さんが様子を見に来てくれました。
大変でしたね!よく頑張りました!
と言ってくれました。
相当暴れました?
と聞くと、
昨日の10時位まで苦しんでましたよ
との事。6時間くらい寝ていたことになる。そこらじゅう痛いけど昨日に比べたら…
ひと安心!
改めて今の自分の姿が見えてきました
しかし、昨日に比べれば雲泥の差です。
すぐに看護師さんが温かいおしぼりで「可哀そうにねー」と言いながら拭いてくれました
生き返った感じです!
朝イチで妻が様子を見に来てくれましたが、様子を見て安心したようです
良かった!
切除した個所がしっかり繋がっているかチェックするのにはオナラが出たかがポイント!
「出たら報告してください」と言われましたが一日目は出ませんでした。本当は痛みに隠れて出ていたのかもしれませんが。
二日目の夕方にオナラが出てうれしい報告
いつも妻や娘にオナラ出たよ報告すると怒られるのですが…当たり前か!
次の大切な仕事は起き上がることです。
自分ではすぐにヒョイっと起き上がることができると思っていたのですが、
力が入らないのと痛みが襲ってきて起き上がれません。
これはヤバい!超焦りました
看護師さんの優しい檄が飛びます!
「無理だよー」と思っても、
ゆっくりー、頑張ってー
すぐ動かないと動けなくなるよー
やっと横向きになって肩に激痛が走るもゆっくり起き上がりました
「やったー!」
ここで電動ベッドのありがたさを知ることになります。
こんなベッド誰が使うの?って思っていましたが、楽な姿勢を探し出すのに使います。自力で起き上がるまで重宝しました。リモコンが手離せません。
起き上がれるようになると
次の要求が待っています。「立ってみましょう!」
管がつながっているので看護師さん同伴のもとで行います。
これまで老人の行動がゆっくりしていてイラっとする時がありましたが、何か分かったような気がします
精一杯動いてるんだなって!
優しい気持ちで接してあげなくては…
それから
なかなか一人で立ち上がるまでが大変で…
立ち上がるのも歩行器の助けがないと厳しかったです。
立ち上がることはできるだけ早くしたかった。なぜなら、トイレの介助だけはされたくなかったのです。しばらく大便が出なかったのでオムツの世話にならないで済みましたが。
一人で立てるようになるとあとは少しづつ歩く距離を伸ばしていくだけです。
手術3日目
不思議とお腹がすいた感じはなかった
この頃が一番マックスに体重が落ちた瞬間で、68キロになりました。(マイナス7キロ)
体力は思ったより相当減少していました。立つのがやっとなんて想像もしていませんでした。
不安は増加していきます。
様子を見ながら徐々にラインが外されていきます。順番は忘れましたがオシッコのカテーテルが外されたのは一番うれしい出来事で、すぐに妻にトイレに立てるようになったよとLINEしました。
傷口についていた血液用カテーテルも外され、点滴も外されました
どんどん身軽になります
∗なお、このラインの外したかの順番については前後するかもしれないのでご了承ください
次に水分を取ることが許されました。吸い飲みで少しづつ飲みます。
これは、切除した部分がしっかり繋がっているかのチェックにもなります。
「異常があったら言ってください」の言葉に緊張しながら飲みました
飲み物だけですが、大げさに表現すると
人間に戻った!そんな感じです
水分を取るようになり異常がない事を確かめると夕食から食事が出始めました。3分がゆです。
ほとんどスープ状のもので、食事を恐る恐るしたのは初めてです
次に気になったのは傷口です。医師が経過観察しにきた時にチラッと見ただけなのですが、自身の身体なのにどんな出来なのかまだ見ていませんでした。
よく見てびっくり!思ったより傷口が長い。へそをシッカリよけてお腹の真ん中一本線。長さは20センチくらい。少し化膿していて処置してもらいました。
このジュクジュクは退院しても数日間治らなかった。ガーゼと腹帯で腹部をガードして傷口を保護します。
夕方には4人部屋に戻りました
重症患者のイメージからすこし抜け出すことができ、モチベーションが上がりました
パジャマ姿になれて、さらにモチベーションアップ!
咳をしたり、急な動きには強烈な痛みを伴いますが、何とか我慢できる感じですのでゆっくり休めました
この日の最後に久しぶりに歯を磨きました。口の中も相当汚れていたのでしょうか?
スッキリ爽やかになって、心地よい眠りを誘ってくれました
手術4日目
起床はいつもと同じ時間 各種測定
少しおかゆが固くなりました。お腹が詰まらないか注意しながら食べます。
というよりは、飲みます!
まだ勉強するほどの余裕はなく、起きて歩くを繰り返しました
ハプニングがあっても対応できるように9階フロアだけのウォーキングをしました
私より年上の人に楽々追い越されます。くそーっ!
スローでの動きですが汗をかくほど歩き回ったので身体をタオルで拭いていると、ちょうど先生がやってきて、今日からシャワー行ってみましょうか!とシャワーのみOKとなった。
勿論湯船につかることは衛生上しばらくNG
正直自分の匂いで気持ち悪くなっていたので!起死回生の一撃といったところ
でもスッキリした―
スッキリしたところで妻が来てくれて子供たちの様子を伝えてくれました。長女の修学旅行の画像を見せてくれました。楽しい思い出の邪魔をしてないのでしょうか?楽しんでるかなー
長男の体育祭も見たかったし…
末娘はどうしてるんだろう…
うるさいオヤジがいなくて案外楽しくやっているのかもしれないな!
そう思うようにしました。
夕食後には会社の上司が面会に来てくれました
忙しくてしかも遠いところありがとうございました。
規則正しい生活を繰り返し、退院に向けて体調も上向きになり、明日から行動範囲を広げようとやる気に満ち溢れていました。
手術5∼6日目
ついにエレベーターホールから下の階に移動してみました
エレベーターで下の階に降りて
ひたすらウォーキングです
歩く以外の動きはほとんどできないので手首足首を回転させたり、お腹と肩に負担のかからないできる限りの動きをします
生活リズムは前日の通りで、運動の時間とできる限りの勉強の時間を取りました
この部屋の患者さんは,私と同じような大きな手術の後の方が多いようです。
とても静かな部屋だったので読書は進みました。この頃にインターネットについて本格的に勉強しようと思いました
と言うのも、仕事ができない期間が長くなってしまう可能性が大なので、収入の道筋を家にいながらできる事に的を絞ったわけです。
仕事以外での収入の手段があることにこの歳で気づき、探し出して、自分の能力と関連性のある事を導き出しました。
そして楽しくできることを第一に考えました。仕事への復帰にも不安が残るので様々な方法を考えていました。
アイデアはいくつか思いつき携帯で調べるを繰り返した2日間
ノートに見事にまとめ上げ自己満足を堪能しました!
将来設計や、調べる事柄がたくさん書かれたノートは今でも一番の愛用書となっています。
食事も退院に向けてほぼ普通と言いたいところですが、私は病気のデパートです!
そう、糖尿病とも戦わなくてはいけないのです。どんな方法でも克服しなければ一生闘わなくてはいけないのです。
残念な食事です!糖尿食の再登場です
好きなものを食べれないのはモチベーションを上げる材料にはなりません
しかし、この日、順調な回復ぶりなので明日退院しましょうとGOサインが出ました
やったー!家に帰れる―
退院前日まではとても充実した数日間を過ごせました
ガン患者としての自覚とアドバイス
手を差し伸べてくれる人はいますが、それに甘えると負けてしまいます!
この頃の心境を正直に言うと、傷口の痛さと糖尿病の全身の疲労感は半端じゃなく辛かったです。はっきり言って誰も周囲に経験者はいません。分かってくれる人はほとんどいません。
そういう意味で孤独な戦いなのです。
妻にも、医師にも、看護師さんにも…
何度も何度も言いそうになった言葉があります
じゃあ、お前がやってみろ!
短気な私がよく言わないで我慢したと自分を褒めています
言ってしまったら絶対自分に負けてしまうワードなのです。周囲の人がどうしてこの言葉を発しているのかを深く考えなくてはいけません。
そうあなたの為です。あなたも言ってくれる人のためを思って頑張ってください。
自分を!
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