遡って書いている内容ですが、少しづつ現在に近づいてきています。
体調と気持ちを合わせて相談しながら書いているのでまた3ヶ月振りの更新になってしまいました。
待っていてくれた方々にお詫びと感謝申し上げて今回のスタートとさせていただきます。
2020年正月から2020年4月までの出来事になります
見えない敵 コロナ禍の接近
2019年年末に大腸癌の再発手術と心筋梗塞の手術入院治療からよみがえり、社会復帰目指した自宅療養を開始したのですが、
コロナウイルスの蔓延により社会全体が混乱し始めた最中の療養にはなかなか厳しいものがありました。
ご存じの通り
基礎疾患持ちは人一倍感染には注意を払わなくてはならなく、
周囲からの溢れる情報からも緊張感を持って療養しなくてはいけないのは相当のプレッシャーになりました。
闘いの跡
今も続けていますが、パルスオキシメーターをいち早く購入して、
血糖値、体温、酸素飽和濃度の3点セットの計測で体調の微妙な変化を見つけて先取りの手当をしました。
先取りのと言うのは
血糖値などの数値の上下動の激しい時には身体に異常を感じなくても休養を取る!
その程度ではありますがいつもより早く休むようにしていました。大げさなくらいに行いました
ちなみに、
パルスオキシメーターの測定において、説明書を十分読まないで測定していたので
突然警報音がなった時はビックリしました!
数字を見てみると酸素飽和濃度92が出ていました。
その時はオキシメーターを装着したまま横になりウトウトしていて少し息苦しさを感じ
ピピッと警報音が鳴って気づいたのです。入院中も1度も98を下回った経験がありませんでした。
肺から酸素を十分に取り込むことができているかを測定した数値です
警報音が鳴るんですね!知らなかった!
もっと具体的策は?
狭いながらも家族5人が別々の部屋を確保できるので
一緒にいる時間を極力少なくしました。
特に私は夫婦の部屋を独占して妻を違う部屋に追い出した形で、リビングで寝かせてしまったことが多くあり、
今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです!
リハビリを兼ねての各部屋の清掃は
使い捨てのキッチンペーパー、ウェットティッシュを使用し掃除を実施
使い回しでなく使い捨てを基本としました。
燃えるごみが確実に増えました!
触るところの再考は大事!
テレビやエアコンのリモコンの除菌も私の仕事です
淋しい食事風景ですが飛沫感染を防ぐ為!
仕事をしていた時は私だけ遅い一人飯だったので慣れていましたが…
我が家にはウェットティッシュ、プッシュ式アルコールボトルは3か所に設置し、手がアルコール荒れするくらい
手洗いうがい消毒を徹底しました。
因果関係は不明ですが、アトピー性皮膚炎のひどい末娘にはこのコロナ禍のアルコールに囲まれた生活は苦痛のようです!
肌荒れ、手荒れひどいくてかわいそうです!
固形タイプの石鹸が洗浄力が強いらしく
私だけの専用石鹸ケースに入れ使用しています。末娘はアトピーの為、専用石鹸を使用しています
手洗い(除菌)→アルコール(殺菌)の順番は大切でしょう!
良く説明されている動画です。石鹸も奥深い!
いつもポケットに入れて自分だけのものを使いました
一番気を遣った部分です。共用のタオル系は一切使用しませんでした。洗濯物が増えましたね!
調査は大げさであるが
妻が医療関係者なので細かい情報は入りやすかった。
市のホームページで市の陽性者発生状況の把握なども神経質過ぎる程行った。
我が家から歩いてすぐの私も診察してもらった経験のある中規模病院でクラスターが発生した。
散歩のコースで目の前を通っていて、トイレを借りたこともあった…
腰を痛めない程度で横になる!
外界との遮断としては効果絶大!
これは家族で私だけでしたが
気温の低い年始から春までは息苦しさを感じずに続けることができました。
そして
感染して周囲に多大な迷惑をかけない私のせめての気配りでした。
マスクの表面は凄く汚れるらしく、マスクの位置直しなどにも表面を触らないようにと妻に助言されました
見えない敵 自身の体調
コロナウイルスの治療への影響を除いて(除いて考えるのは厳しいですが…)
基礎疾患の大腸癌と糖尿病と心筋梗塞について報告します。
心筋梗塞の発症より少しの動作にも息切れが発生しました!
心臓のドクドクを常時感じるイメージと言えば分かってもらえるでしょうか?
ですので
どんな身体の動きに対してもゆっくり動くを基本としました。急激な動きについていけないし
何かの拍子に急に動くと関節やら筋肉痛になり更に動けなくなるような状態でした。
家事を少し手伝っては休み、散歩も休み休みゆっくり歩き、休憩を十分とる。そんな感じの毎日でした。
特に心臓バクバクと身体の固さには本当に衰えを感じました!
数年前までは懸垂で筋力を誇示し、ジョギングしたり大型バイクを乗り回す体力を持ち、
会社の若手と遜色のない自分が誇らしかったのですが、ガタガタになってました。
スタミナと柔らかかった身体はどこへいったやら…
起き上がるのにも疲れを感じ、トイレに動くのも気合いを入れる。
食事するにも噛む動作に疲れを感じるそんな感じでした。
食欲があるのに疲れるので食べない事が多々ありました
血糖値の不安定さが原因かと思っています
排尿排便がすっきりできないので、漏れてしまう不安や、寝てからの急な排便、排尿意が襲ってきて安眠できない辛さがありました。
生活のリズムが狂い、家族にも迷惑をかけてしまう始末でした
漏らしてしまうこともあり、妻に内緒で
尿とりパットを使い始めたのもこの頃からでした。
お尻の周辺がかぶれてしまい今でも悩みの種です。大きいサイズでお尻までカバーします
確実に大人用紙オムツより安いのです😅
突然ですが、3つの病気のうちで気を付けたり辛かった順番は?と聞かれたことがあったのですが、
この頃は
心筋梗塞(息苦しさ)>大腸癌(排便の不安)>糖尿病(自覚なし)
今では
糖尿病(倦怠感)>心筋梗塞(息苦しさ)>大腸癌(安定)ですね!
奮闘ぶり
冬の寒い時期であった為、
寒暖の差にとても注意をしました。
クラっとして大きく姿勢を乱して転んだり、転びそうになることが多々ありました。
温度差をなくすために風呂、トイレ、洗面所を暖めるために妻がヒーターを置いてくれました。
当然ながらリハビリのためのウォーキングは継続していましたが
コロナ禍では人との接触を避けるためにも夜の散歩が多くなっていった。
寒さ対策をしっかり行い温かいお茶を持参し、コース選定にもある程度人通りがあり明るい所を歩きました。
もちろん休めるベンチのあるところをチョイスしました。
パトカーに止められ職務質問されたり、不審者と間違われたりハプニングには事欠かなかったな…
2月,3月はこんな暮らし振りでしたが春の暖かさと共に明るいうちに出かけることも多くなった!
無限大にある散歩コースの中には西武新宿線東村山駅前にある志村けんの木を折り返しにするコースがあって
そこまでの山道を幾度となく歩いていた。お亡くなりになる前から歩いていたので
志村さんの死は私を大いに落胆させた…
コロナウイルスのへの考え方も変化した。
子供の頃土曜の夜8時が楽しみで
少年時代の私の心の支えであったことは間違いない!
闘病後初の飲酒もこの時だった!
荼毘に付された晩に家族に内緒で酎ハイを飲んでYouTubeを見ながら志村さんを偲びました
少し体調も安定した3月には近くの催し物に出掛け、屋台の食べ物に舌鼓を打った!
妻の発案で私の気分転換と外界との接触の機会として誘ってくれたものだ。
その時の食べたものは
夫婦二人でこんな少しの量で
我が病気の重さを実感した瞬間でした!
しかし、気分は爽快でしたね!
この時初めで
薬剤負荷心筋シンチグラフィ検査(CT)を受けました
心臓の状態を見る検査で、
通常少し運動をして(心臓に負荷をかける)CTで心臓の検査をするようなのだが
私は心臓の数十%死んでしまっているので
薬剤(アデノシン)によって心臓に負荷をかけるものを受けたのです。
この検査で忘れられないのは
CTの機械の中で両手を上げる姿勢を20分くらい続けなくてはならない時の気の狂わんばかりの不快感でした!
右肩の激痛と不快感の何とも言えない感じ…
初回の最初の大腸癌手術の時に右肩を壊し、その激痛と戦いながらの約2年間を過ごし
今回の再発と心筋梗塞の発症!
この検査は良くなりかけていた右肩の事を思い出させてくれました。
疲れと肩の事で妻が心配するほど動けなくなりフラフラで帰った事を良く覚えています
見えない敵 金銭面の不安
早く仕事に復帰してバリバリ働かないと長男と末娘の進学が待っている…
借金の返済もあるし…
そんな
お金の不安が毎日頭を過りましたね…
保険のお金はほとんど医療費に消えて、医療費と収入減は家計を相当圧迫してきました
その頃の家計の現状というとおおよその概算ですが、
会社からとして(給与+傷病給付金)等で
約17万円
妻のパート約9万円
長女のバイト約5万円
世帯収入で30万円位でしょう。
これで生活費、家のローンや子供3人の学費、そして私の医療費…
妻に任せっきりでしたのでキツかったでしょうね!
妻は金銭に苦労したことがない家で育った人でしたからスゴいストレスを与えてしまったし
それに対して何もできない自分にいつも苛立っていました。
奮闘ぶり
その場しのぎの解決方法で根本的解決にはなっていないが借金しかなかった!
もう蓄えは治療費や我が実家への援助、学費等で底をついている。
今までの信用で借金しています。帰せるかの不安も常時付きまといストレスは絶えません。
今の仕事と今の体調では物理的に返済不可能!
別の道を模索中だ!
見えない敵 心のケアの必要性!
闘病しながら気持ちも病んでいく方がいることが理解できるようになりました。
上記の通り
病気の苦しさ以外に数々のプレッシャーが襲ってくるのですから…
全てが自分を批判しているように聞こえてしまう!見えてしまう!
家族だって敵に見えてしまう。
そして
温かい言葉も恨み辛みに聞こえてしまうものです。
健康な時にもあることなので心身共に弱っているときは尚の事です。
奮闘ぶり
そんな時こそ散歩しましょう!いつも何かしら優しさに触れることあり、気分転換できました。
いや、
それを求めていたので探して目についたのかも知れませんが…
これは生きるヒントになるかもしれませんね!
散歩の途中では社を見つけると手を合わせずにはいられませんでした。無意識に救いを求めてさ迷い歩いていたのでしょうか?
ちなみに私はお願いをするのではなく、神へ感謝をするつもりで行っています
また、
面白い風景を携帯で写真を撮って新しい発見を家族に見せたりしました
民家にあるセスナ機と遊園地のアトラクション飛行機置き場です
家族、上司に心の迷いを相談することも選択肢として当然ありますが、みんな忙しいし、迷惑をかけたくない…
市の福祉相談窓口に2度目の相談に行ったのもこの頃でした。多岐に渡って多くの相談を受けてきたプロに助けを求めたのです。
私のような病歴の人はそんなに多く存在しないので親身になって聞いてくれました。
好き勝手な事ばかり言っていたので落ち着いた頃には多少恥ずかしくもなっていましたが良く聞いてくださり、
似たような立場の方の話をしてくれたり、無理をして亡くなった方の事例も遠慮なく教授していただき、話の内容のメリハリでとても身が引き締まりました。
ヘルプマークについてアドバイスされたのもこの時だった…
相談窓口は頻繁に行けるものではないので
それ以外で昼夜を問わず誰かが「いいね!」やメッセージを送ってくれる
ツイッターの存在はとても頼りになるもので
私は愚痴、弱音をぶちまけました。
弱い自分をさらけ出し楽になったものです。
私のつぶやきごときに優しい言葉でフォローしてくれる方が沢山おりましてとても力りなりました!
この場を借りて改めて
これからもよろしくお願いします!
振り返るとやはり
助けてくれた皆さんにありがとうの感謝しかありません!
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