この馬鹿コロナウイルスは、志村けんさんを突然我々の前から連れ去ってしまった。強烈な虚無感を我々を支配する。
どうしても論じないと気が済まない!
失礼な言い方だが、志村けんさんが我々を本気で新型コロナウイルスと向き合わせてくれたと思う。最大の感謝と賛辞を送ります。そして見送りたいと思います。
もっと理解して必ず我々人類は勝利を勝ち取らなくてはいけない。
甘く見ていた新型肺炎の分析
新型コロナウイルスの発生源
諸説ありますが、野生動物から近い菌が検出されているところから、中国の野生動物を食する文化と衛生面から人間への感染が疑われています。疑われているのはサンゼンコウと言うアルマジロのような生き物です。
ちなみに2002年のSARS(重症呼吸器症候群)はコウモリやハクビシン等から感染したのではないかと言われています。
その他、細菌兵器の開発中に漏れてしまった説や、中国以外の国の陰謀説など様々である。
この発生源についてはこれから先コロナウイルスと闘うために、人類の存亡の為に必ず解明されなけれないけないものでしょう。
そうしなければ恐ろしいことが繰り返されることになってしまう。
個人の考え方ですが、野生動物からの感染と考えたい。それは人類の環境破壊の責任でもあるし、
決して作為的なものでない事を祈ります。
新型コロナウイルスの症状
まず始めに年齢や既往症によって違うと思いますので、一般的に言われていることを書いてみます。
最新の詳しい情報です参考にしてください
新型コロナウイルスのこれから
現状の日本の検査体制では、諸外国より簡単にウイルス検査を受けれる状態ではないので、広がり方の予測が専門家も把握しきれず、
想像以上の事が予想されるので権威ある大先生方も相当の注意を語気を強めて発信しています。今までにない警戒が必要なのではないでしょうか?
今怖いのは医療現場の方に広がることです。
もし医療崩壊が起きるとその影響は我々にも経験がないので計り知れない。
昨日、我が家から一番近所の救急病院のスタッフがコロナウイルスに感染し、病院が閉鎖されたニュースが飛び込んできたばかりです。
妻の勤務する病院でもその余波が訪れようとしている。そうして広まっていくに違いない。
今連絡もなく病院に受診に行くのは、感染したり、感染を広める両方のリスクを増やすだけの危険な行為と言わざるを得ない。
今必要な方々が活躍できなくなるのは私たちが感染するより何十倍もロスが多くなってしまう。
もしかしたらインフルエンザのように根絶するものではなくて、
上手にずっと付き合っていかなくてはいけないものなのかもしれない
インフルエンザの予防接種のように…
自分はどうなの
私は55歳、基礎疾患の糖尿病、大腸ガン2回手術(抗がん剤治療経験あり)、心筋梗塞薬の服用中、前立腺肥大とテーマ通り病気のデパート男なのである。
もしこの新型コロナウイルスの餌食になれば圧倒的大差で負けてしまうでしょう!
現時点での対策
諸外国の例を見ると、都市を封鎖した状態から1か月くらいの外出禁止期間を設けると終息に向かう傾向が見られます。
後手に回っている感のある日本では、これからが本格的感染の上昇が予想されます。
ですから、特効薬ができるのには時間がまだまだかかりますから、
諸外国に倣って外出を控え、手洗いうがいを徹底して行い、家族でもなるべく接触を控えることが今できる最善の方法なのでしょう。
マスクもうつらないじゃなくうつさない意識でつけるようにしましょう。
マスクの無い方はこちらの動画を参考に(縫わないで作れる)
志村けんさんの死
人々の新型コロナウイルスに対する思いは初めは対岸の火事のイメージだったのでしょうが、
タレント志村けんさんの新型コロナウイルスによる死によって変わったのだと思います。正直私は打ちのめされました。
ドリフターズは、私の小中学生の頃の救世主でした。毎週土曜日夜8時はテレビの前に本当に家族が全員集合していましたね。
学校で嫌な事があっても、週末は全員集合の事を楽しみに笑顔になることができました。
家にお風呂がなかった貧乏育ちなので銭湯に通っていましたが、絶対にこの時間は銭湯に子供はいなかった。番組が終わって夜9時過ぎに銭湯に行くと、同じ理由で来る仲間がいて今日のコントの話で盛り上がり、週明けにはギャグの真似をして楽しんでいました。
私はビートたけしさんの大ファンで今でも殿と崇める存在ですが、その殿が事件で謹慎していた大変な時期に相当お世話になった事は多くの番組で語られ知っています。ですからなおさら思い入れは強くなります。
自分なりの志村さんの見送り方
どうやって志村さんを送ろうか
志村けんさんの死を知って、最上級の黄泉の国への見送り方をしなくてはいけないと思いました。私達が子供らしく生き生きと暮らしていた記憶のどこかに志村さんの存在があったのではないでしょうか。本当に救われたことが沢山ありました。
そのお礼を必ずしなくてはいけない!
自宅療養の身である私は、いつでも病院に駆けつけることが出来ましたが、折しも不要不急の外出は控えようとの政府の呼びかけと、今は何より志村さんが皆さんに望んでない事は明白であり、私が一番新型コロナウイルスに捕まって家族にもっと迷惑をかけてしまう身でもあるし…
そして、
残酷な死亡後の扱いを聞いて絶句しました。
何という残酷が待っているのだ!
憎きコロナウイルスめ!
諦めきれません。
せめて荼毘に付される時間にお世話になった人で全国一斉に手を合わせようではないかと呼びかけしたのは、行動力のない私のせめてもの感謝の気持ちだったのです。
志村けんの木
荼毘に付される時間も場所も感染と大混乱することが予想されたので発表も当然なし。
でもできる事はないのだろうか?心が収まりませんでした。
絶対に好きなお酒をお供えして手を合わせて感謝しなければ消し去ることのできない気持ちでした。
そうだ!志村けんの木だ!
実は私の家は志村けんさんの実家のある東京都東村山市の隣町なのです。
志村けんの木は昔からよく知っていて、志村けんさんのご自宅も偶然職場から近くにあるのです。
この志村けんの木は若い頃わざわざ見に来たこともありましたし、
1回目の大腸がんの手術から復帰して初めての飲み会で酔っ払って動けなくなった時に妻に迎えに来てもらったのもこの場所だったのです。
何時くらいに荼毘に付されるのだろうか?
人との接触を避け歩いていきました。ずっと今頃荼毘に付されているのだろうかと考えながら…
東村山駅に到着した頃には人がたくさん集まってそれぞれが別れを告げていました。
本当に老若男女が嘆き悲しんでいて、私は一人、お酒をブルーシートの片隅に置いて手を合わせました。
いろいろお世話になりました。
ありがとうございました
別れの後の帰り道
午後4時半くらいに誰もいない川沿いを桜を見ながら帰ります。
何と淋しくも美しい桜よ!
初めて通る道を歩き、偶然見つけたお寺に手を合わせずにはいられませんでした。
夕方5時くらい。
きっとお骨になってしまったな。間に合わなかった!
更に寂しく帰宅。
自宅に着いて知りました。荼毘に付されたのは5時くらいだったとか…
本当に良かった。間に合った!
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