生きるという事と死との向き合い方!終活を本気で考え遺してあげるもの!

横断歩道生活

急に語りたくなったテーマです!

本当にここ数日で至った考えです。
いつものようにまとまりに欠けますが読み進めて何気に受け取ってください!

近況より私の本心を遺しておかなくてはいけないと思いました。

決して後ろを向いているわけではなく
前向きで考えたテーマであります

これから将来の自分も含めて家族や周囲の人達がより充実した生き方ができるようにする考えとは?実行しようとする事とは何なのか?

なぜ考えるようになったか

コロナ禍もあって

最近自分を含めて身近に命の危機にさらされた人、それを支える家族が多くあって、
その様子を間近で見るような触れるような機会が多くありました。

私自身、大病をしたことで周囲に迷惑をかけたので「生きて恩返しをしたい!」

階段での足元

そう思って療養に励めたものです。

「絶対に取り返すぞ!」
そんな気持ちに後押しされながら仕事復帰も果たせました!

しかし

最近、義理の父が脳梗塞で倒れ、自宅に戻れない位の状態になり家族や我が妻の多忙を目の当たりにして、
我が身を振り返ると少し考えに変化がてきました。

これでいいのか?

会社では私の欠勤の穴埋めの為に若手にしわ寄せが来る。雰囲気がピリピリしているのが鈍い私にも伝わってくる
通勤で何度見知らぬ方に助けられたか!
家族も私に普通なら言えることも言えないし、私への気遣い窮屈だろう
辛そうにしてる姿は誰の得にもならない
復活ののろしを上げているが間違いなく達成できないだろう…
これ以上の体調悪化は家族に経済的負担を更に強いて家族の未来に暗雲が立ちこめてしまう
私が役立ち支えている部分があることも当然理解しているが、NGが全てを打ち消してしまいます

そんなに迷惑をかけて生きていたのか!

私の為のしわ寄せがそんなにあったのか!
それが見えてきたとたん平気ではいられなくなりました…

心苦しい…

迷惑をかけないこれからを考えなくてはならなくなった!

元気になれば解決する!と思うだろうが、それはこの病気を体験したら分かる事…

病院内足元

肉体も精神もダメージは相当深い

これでいいはずがない!

私にとって生きること

強気で再生復活と名乗りを上げてはいるが実際どうなのだろう?

自撮りの足2

実際自分も生きること全てに余裕はなくなっている。

スッキリしない体調で仕事に向かう。
通勤もリハビリと考えて毎日1時間は歩く!
電車で往復2時間!通勤も有効活用と言いながら疲れを休める時間となる。
出勤率6割、休日は本当に休養、給料は生活を維持できないレベル(有給休暇は消化してなし)、
今までの生活設計もずさんであった。何とか巻き返しを図るためのネットでの作業や試行錯誤も疲れてままならない!

どうしても私の強気や楽観視を周囲に押し付けるわけにはいかないようになってきた。

何とかなるよ!

口癖が、もう通用しない。
ポジティブを通り越して
本物のダメおやじになりつつある…

何か打開策はないものだろうか?

何が自分を苦しめているのかよく考えてみる!
そして
これらが解決したら楽になるのかあえてシミュレーションしてみたら…

例えばお金があり余るほどあっても
使う気力がなくなってしまっている

借金を完済し、精神的に楽になりたいが、物欲もなくなり…

人間関係は諦めた!最低の人間でよい!ダメ人間でよい!

例えばが限りなく出てくる

唯一身体的辛さがなくなれば多くをカバーできるが、それが一番実現しがたい…

しかし
どんどん弱っているのが現状!
ショックを受けるほどの物忘れ
ゼリーの蓋のビニールが開けられないくらい力が弱っている

身体が心と離れていく…

森の中での足元

でも、これまで自分のレベルでよく頑張ったと思える部分も勿論ある。

立派な家族を与えてくれた神に感謝している

これから先自分は世の中に必要なのだろうか?

自分の経験を生かし、それを足掛かりに復活を思ってはいるが、今している作業は何の役に立つのだろうか?
役立つことなんてないんじゃないか…
そんな気持ちが心を支配し始めています

 

「生きる」選択は

私にしかメリットがないのではないだろうか?

駅での足元

残念ながら、自分がいなくたって世の中はいつものように何事もなく廻る!

生きる事に価値を見い出すことが困難になってきている…

死との向き合い方

ガンで余命が宣告され、心筋梗塞で死の淵まで行った!体調は一番自分がわかる…

健康とは程遠く、人生を楽しむ余裕なんて正直ない!

頭を過るのは宝くじに当たることではなく、起業が成功することでもなく、

全く逆の発想しか浮かび上がらないのだ…
最近、死に方を考えるようになった。

病気になる前は貧しくてもそれなりに幸せを感じ、いい加減な生き方をしていた私もそれなりに楽しかった!

死なんて全く眼中になかった…

年齢とこの病気は私に
「深刻に考えろ!」
と思いっきり首もとに鋭いナイフを突きつけてきた

去り際はせめてカッコよくと思うが
このままでは残った人たちに恨まれて生き永らえ、死んでも恨みを抱かせたままになる。

それを回避できるのが
唯一私の中にある
最後の責任の取り方か…

一応否定派ではあるがこんな楽天的で死ぬことを恐れる人間でもホームに駆け込んでくる電車に吸い込まれそうになりハッとした経験がある…

我に返り向かい側のホームの人と目があって、向かい側の電車待ちのほとんどの人が私を見ていたのに気付く…

さぞ危なっかしく見えたのだろう
私だってそんな気はなかったが

吸い込まれそうになったのは事実!

駅構内での足元

妻は別の言い方で私を諭す
電車の乗客、運転士に迷惑がかかる
私達にも賠償請求が来る

嫌な女じゃない
照れ隠しだ

自分だって同感だが
吸い込まれる力があれ以上強くなったら…

病気が原因や空から鋼材が落ちてきたり、交通事故で死ぬのはもう怖くない!

反則的考えだが
この死に方は遺せるものができる!

むしろ今の私には望ましい

でも「自死」怖いし否定する!

 

本当に知識は皆さんより乏しい人間ですが人間以外の自死は聞いたことも見たこともない。人間特有の行動なのだろう。

【人は考える葦である】と言う言葉を賢明な皆さんは私より知っていると思いますが、

思考する唯一の存在(人間)としての崇高な選択肢として
不本意ながら考えなくてはいけない時と場合があるのかもしれない

肯定も否定も選択する勇気も資格もない

ただ
誤った生死は
未来の人にいらぬ残り物をしてしまう恐れがある

簡単な引き算を頭の中で難問のように悩んで答えが出つつある

終活!準備を始める!

カッコよく言えば終活なのか…

自分の残した借金、書類の整理、会社で入っている保険、パソコン、ネット関係のIDパスワード、家の権利書、関係財産全てまとめあげた!
妻が途方にくれないように分かり易くまとめた

過去ネットで閲覧したいかがわしいサイトの履歴も削除

すぐに家族が次のステップに進めるように
今のうちに…

脳梗塞で倒れた義理の父は、趣味で集めていたものや書類や友人クラス会の幹事などもしており几帳面な性格で、書類、その名簿など個人情報など膨大な量であった。

父以外の家族が何ヵ月も費やし整理を行って疲弊してる姿を繰り返させるわけにはいかない

正直もし
家族がこれからの人生困らないほどのお金があったら…
お金があったら豪華施設に入って悠々自適な生活が送れるだろうが
今の私にはそうなったとしても魅力的なものには全く見えない…

身体も言うことを効かないし…

賛否両論批判は覚悟!

自分の命を整理する選択肢もある

そう結論付けた我が道なのだ

旅立ちの足元

負の気持ちだけ置き土産として遺してしまうかもしれない!けど
勇気ある撤退もあり得る

父は強くなれなかったと思ってほしい

簡単な引き算をしたまでだ!

見捨てる訳じゃなく

君たちを思うが故なのです

やっぱり最後まで迷惑な人間になりそうだ!

でも限界までは闘い続ける💪

一番怖がっているのも私だし…

残せるものが何もないから…

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